First Kiss
それは、夕陽の入ってくる教室。 夕焼けのオレンジがいつもの教室を、違う場所のように見せる時間に、いるのは二人だけ。 そんなシュチュエーションに気付いた時、木野村透の心臓がどきっと飛び上がった。 (こ、これって、もしかして・・・・) もしかしなくても、とてもいいシュチュエーションという奴じゃないだろうか。 ―― キス、をするのに。 かあっと顔が熱くなったような気がして透は慌てて、机を挟んだ向かいに座っているヒトミを盗み見た。 幸い、ヒトミは透の様子に気が付かず楽しそうに部活の話を続けている。 ほっとして透はヒトミの話に集中しようとする。 「・・でね、次は役をやるかもしれないいだよ。」 「よかったね。」 「よかった、かなあ。なんか2年間も裏方やってたのに、最終学年で役っていうのもね。まあ、去年までは役ができるような体型じゃなかったけど。」 複雑そうな顔をするヒトミに、透も苦笑する。 「でも、役もやりたかったんでしょ?練習一生懸命してたから。」 「うん。よく、知ってるね。」 少し恥ずかしそうに言われて、透は頷いた。 知らないわけ無い。ずっと見ていたんだから。 台本が配られて配役が発表されるたびに、残念そうにしていた事も、こっそり役のセリフなんかを練習していたのも。 ヒトミが太っていようと痩せていようと、ヒトミには違いないから透にとってはたいした問題ではなかったけど、痩せたことで彼女に役が回ってきたのは本当に良かったと思う。 (本当に、綺麗になったし。) そう思って透は少し目を細めて、ヒトミを見た。 高い位置で括った長くないポニーテールは、いかにも触り心地よさそうにさらさらと揺れているし、元々整っていた目鼻立ちは痩せたことでスッキリと目立つようになった。 くりっとした目と、柔らかそうな頬と、綺麗な唇・・・・ どきっ (ぅわ。) せっかく離れかけたのに、思考がそこに戻ってきてしまって透はまた胸が落ち着かなくなるのを自覚する。 しかもそのうえ、今度はヒトミの唇から目が離せない。 本当はずっと触れたかった。 晴れて恋人同士になって、彼女に触れることができるようになっても、片想いの時間が長すぎて触れられなくて。 ―― だけど、うっすら茜色に照らされた彼女がとても綺麗だったから。 気が付いたら、手が動いていた。 机に置いた手が、ヒトミの頬の感触を捉えた途端、電流でも走ったように透はびくっと手を離した。 「透君?」 「あ、ご、ごめん!」 反射的に謝ると同時に、頬がかあっと赤くなるのがわかった。 (ど、ど、どうしよう。) 正直、こんな場面でこんなふうに狼狽えるのは酷く格好悪いとわかっているけれど、ドキドキしてどうしようもない。 そんな透を見ていたヒトミは、しばし視線を上にやったり下にやったりした後・・・・ 「透君」 「え・・・・」 呼ばれてやっと視線を上げた透の目に映ったのは、少しだけ身を乗り出して目を瞑っているヒトミ。 教室に入った夕陽の色ではなく、うっすらと染まった頬が、彼女の気持ちを伝えていて。 ・・・・ドキン、ドキン 痛いほど高鳴る鼓動を納めるように小さな深呼吸をして、恐る恐るヒトミの頬に触れる。 柔らかくて、暖かいその感触に惹き付けられるように、目を閉じてヒトミの方へ顔を近づけて・・・・ ―― 触れた、と思った瞬間 「・・・・透君」 「・・・・え・・・・」 「・・・・そこ、鼻。」 「えっっ!?うわっっ!?」 ガタガタ、ガッシャーンッ! 飛び退いた瞬間、派手な音をたててイスと一緒に後ろに透は倒れ込んだ。 「透君!?」 驚いたヒトミの声を聞きながら、床に尻餅付いた格好の透は、頭を抱えてしまった。 「大丈夫!?」 自分もイスを離れて床にしゃがみ込んだヒトミが覗き込んでくる。 その視線を感じながら、透は泣きたくなってしまった。 「大丈夫じゃないかも・・・・」 「ええ!?どこか怪我した!?」 「・・・・ごめん。」 質問の答えになっていない返事に、ヒトミは一瞬きょとんとしたような顔をして、不意に「ああ」と小さく笑った。 「ここ、のこと?」 そういってヒトミが指さしたのは、可愛い鼻先。 鷹司さんが悶絶しそうな可愛いしぐさだな、と頭の何処かでぼんやり考えながら、情けなさに透は小さくなる。 (せっかく、ヒトミちゃんの方がチャンスをくれたのに・・・・) アニメのヒーローのように、スマートにできない自分の後押しを、ヒトミがしてくれたというのに、自分ときたらそれでも上手くできないなんて。 深い深いため息をついて膝に頭を押しつけた透の耳に、ヒトミの声が聞こえた。 「ファーストキス、だね。」 「え?」 驚いて顔をあげると、ヒトミが照れくさそうな顔で笑っていた。 そしてちょんちょんっと自分の鼻を差して。 「ファーストキス。私、鼻にキスしてもらったことなんかないもん。」 「!?ヒトミちゃん・・・・」 呆れるでも、馬鹿にするでもないヒトミの言葉に、透は言葉を詰まらせる。 こんな彼女だから、小さな頃から惹かれて惹かれて。 「ヒトミちゃん、大好きだよ。」 零れだしたようにそう呟いて、そおっと唇で触れたのは、彼女の額。 今度はちゃんと目標の場所にキスできたらしく、ぱっと赤くなって額を抑えるヒトミに、透は目を細めて、優しく笑った。 「次はちゃんと・・・キス、できるように頑張るから、もう少し待ってくれるかな。」 こんな事を言うのはやっぱり情けないとは思うけれど。 でも、その言葉を聞いたヒトミが嬉しそうに笑ってくれるから。 笑って 「うん、ゆっくりいこうね。透君。」 なんて言ってくれるから。 ―― オレンジ色の教室で、指先を絡めて、顔を見合わせて、二人で笑い合った 〜 END 〜 |